11月3日より6日まで、青木天満宮氏子会総勢19名で、伊勢の神宮へ参拝旅行に行って参りました。
11月3日は14:00に青木天満宮を出発。
新門司港発17:00のフェリーに乗り込み、一晩かけて大阪南港へ向かいます。フェリー内レストランで軽く食事を取った後、早速二次会・・・。
Kさん自ら獲ってきた「カニ」を、奥様自らお料理して、持ってきていただきました。
初日から飛ばしすぎです。(写真は、飲むのに夢中で撮り忘れました)
4日午前5時30分、大阪南港へ到着。まだまだ外は真っ暗です。
一路、伊勢の神宮外宮様へ。午前9時に到着しました。
お世話になった西鉄バス。
この後、カメラの電池が切れてしまい、またも写真は無しです。申し訳ない・・・。
豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、外宮(げくう)とも申し上げます。
約1500年前、雄略天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。
豊受大御神は、神様にたてまつる食物をつかさどられています。
御正宮を参拝した後、外宮ご鎮座の山田の原の守護神様、別宮「土宮」へ。他の別宮が全て南面するのに、土宮だけは東面しております。東向きにご鎮座するということは外宮ご鎮座以前に遡り、古態を残したものだともいわれています。
そしてお隣の「風宮」へ参拝。弘安4年(1281)の元冦に際して蒙古の敵軍を全滅に至らしめた、まさに神風の神様です。
多賀の宮様を遙拝した後、内宮へと向かいました。
10月25日に、青木天満宮例祭が、賑々しく斎行されました。
大神様を乗せた御神輿は、青木天満宮から下林天満宮・青木分天満宮・西青木天満宮・下青木広門天満宮を経て、青木天満宮へ還御(おかえり)になります。
御神輿の行列を先導しながらですので、すべての祭典を写真に納めることはできませんでした(申し訳ありません)。
青木分天満宮での祭典の様子です。
西青木天満宮に到着しました。ここから稚児行列が合流します。
行列には、恐ろしい鬼や鎧武者も・・・
御神輿をくぐると、限りない御利益を頂戴することができます。
下青木広門天満宮の祭典の様子です。
田園地域である、青木地区ならではののどかな風景です。
約3時間にわたって御神幸し、このあと無事に青木天満宮に還御。
大勢の御来賓や、行列に御参加いただいた皆様、そしてお稚児さんの参列のもと、青木天満宮で本祭りが斎行されるわけですが、写真を撮ることはできませんでした。あしからずお許しください。
10月20日、神前結婚式を斎行。
おめでたいお席ですから、控え室でまず桜茶を召し上がっていただき、御神前へ。
厳粛に滞りなく、執り納めました。
K様、おめでとうございます。
永久のお幸せを、お祈り申し上げます。
10月18日午前8時より、本務神社氏子の皆様総出で、境内清掃としめ縄奉製作業が行われました。
10月25日の例祭に向けて、氏子の皆様の熱心な清掃作業です。
しめ縄奉製作業には、小学生も参加してくれました。
しめ縄奉製作業の様子です。
最初が肝心。
かなりの力仕事です。
飛び出した藁は、丁寧に切り落とし
約、40分ほどで完成。
鳥居に取り付けて、無事に終了。
清掃作業の皆様、しめ縄奉製の皆様、早朝よりありがとうございました。
10月16日午前9時40分頃、熱田神宮会館にて受付を致します。今回はSSK「H会長」の名代としての参列です。
大勢の皆様が、参列されていました。
午前10時、誘導に従い祓戸へ、お祓い終了後拝殿へ移動します。途中でSSKの「O副会長」と久しぶりにお会いしました。お元気で御活躍の様子でした。
拝殿で着床したところは、ちょうど柱の後ろで・・・お祭りの様子はほとんど見えませんでした。が、厳粛な雰囲気は、ひしひしと感じることができました。
この写真は、祭典終了後の様子です。
熱田神宮の御由緒です。(熱田神宮ホームページより)
「熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。約6万坪の境内には、樹齢千年を越える大楠が緑陰を宿し、宝物館には信仰の歴史を物語るものとして、皇室を初め全国の崇敬者から寄せられた6千余点もの奉納品が収蔵展示されています。境内外には本宮・別宮外43社が祀られ、主な祭典・神事だけでも年間70余度、昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられています。