5月9日午後、お休みを頂戴して八女市黒木町と上陽町に出かけてみました。
まずは津江神社に参拝。
津江神社の御神木、樹齢830年の大楠。大変な貫禄です。
そして津江神社、立派な御社殿です。
「平安時代末期の嘉応元年(1169年)2月、猫尾城(黒木城)初代城主・黒木大蔵大輔源助能(みなもとのすけよし)が創建したと伝わる。
助能は、後白河法皇(後鳥羽上皇とも)から姓や恩賞を賜るほどの武将であったが、あるとき豊後国の大友氏から疑いをかけられ、豊後国津江荘(現在の大分県日田市中津江村)に幽閉された。「無事に帰還できたら津江宮を黒木で祀る」と誓い、無事帰還した後に津江権現を勧請して津江神社を創建したという。」
(ウィキペディアより)
その後、有名な黒木大藤へ。
「1395年、後征西将軍良成親王のお手植えと伝えられ、幾多の戦と大火に見舞われながらも、樹齢600年以上を数える今でも力強く、また、たくましく生き続ける長寿の藤として全国に知られるようになり、国の天然記念物に指定されています。
黒木の大藤がある素盞嗚神社には、約3,000?もの広大な藤棚が広がっており、毎年4月中旬ごろに開花し、1mを超える紫色の花房を垂下させます。
開花期間中に開催される黒木大藤まつりには、全国から約20万人もの人が訪れ、藤の美しさに感動されます。」
(八女市ホームページより)
すでに満開をだいぶ過ぎた時期でしたので、お客様も少なく、ゆっくりとお参りができました。
山を越えて、上陽町へ。私が歴史上でもっとも尊敬する人物の一人である、「大伴博麻」の記念碑にお参りに行きました。白村江の戦いの敗戦による国家存亡の危機を救った、私たち筑後が生んだ大英雄です。
この碑の前に立つとなんだか勇気が湧いてくる、私にとってのパワースポットといえる場所です。
「愛国」という言葉が初めて使われたのは、持統天皇が博麻に下されたお言葉が初めてだと言われています。
占部賢志先生著より
墓前祭は、武田東山先生・鐘?三郎先生の御霊を慰霊し、その功績を顕彰するために、上青木公民館が主催し、毎年5月3日に斎行されています。
武田東山(たけだとうざん)先生は、明治二年、青木天満宮の境内に私塾「泡来舎(ほうらいしゃ)」を設立し、二年後には青木小学校を創立され初代校長先生となられます。三潴郡で最も早く創立された小学校です。時代は維新黎明期。廃藩置県が断行され、鳥羽伏見の戦いや佐賀の乱・秋月の乱など、動乱が次々におこった世相不安定なこの時代です。先生の教育に対する先見の明にはただただ感服するばかりです。
一方、日清戦争の大英雄鐘?三郎先生は、苔梅寺(たいばいじ)天満宮の社僧の家に生まれました。身体は小さかったのですが、剛胆で文才優れた特性を生かし、敵地動静を探る諜報活動を行われました。送られた情報には、作戦計画に直接影響を与えた急報も多かったといいます。金州城の露と消えた若桜二十六歳。現在でも、山崎・藤崎両先生と共に殉節三烈士と称えられています。鐘?先生の祖国を思う熱き心には、感動を禁じ得ません。
郷土が生んだ偉大な巨星、武田・鐘?両先生。
本年も、100名を超える参列者が集いました。
上青木地区の小学生は、両先生の墓前清掃を毎年欠かさず奉仕してくれています。
また、剣友会の御協力のお陰で、途絶えておりました剣道大会も復活する事ができ、本年三回目となりました。
私たちは、この子供たちに両先生の功績を伝え顕彰していく事こそ大きな使命であると思うのです。
今年の春は、例年よりも寒いように感じます。
花も、少し遅れ気味でしょうか。
「ボタン」に「すみれ」
「つつじ」に「はなみずき」です。
蝶々も飛び始めました。
春の花々がきれいです。
投稿が遅くなってしまいました。
すでに桜は散ってしまっているのですが・・・せっかく写真を撮ったので、お知らせ欄に掲載します。
4月4日の写真です。
その後、故あって北海道は札幌に出かけました。
こちらはまだ真冬。。。4月8日、朝の中島公園です。
中島公園の水天宮、そして護国神社。
そして、弥彦神社です。
雪がすごいですね。九州人にとっては真冬です。
改めて、日本は広いなぁ?と。