故あって、熊本市にまいりました。所用をすませた後、出水神社と水前寺公園を訪ねました。
きれいですよね。この風景が大好きなんです。
水前寺公園(成趣園)ホームページより
肥後細川藩初代忠利公が鷹狩の砌(みぎり)、渾々と清水が湧くこの地を殊の外お気に召され、御茶屋として作事されたのが始まりです。後、綱利公の代に大規模な作庭がなされ、桃山式の優美な回遊式庭園が完成、陶淵明の詩(帰去来辞)より成趣園と命名されました。華やかな元禄時代には東屋も沢山あり、成趣園十景を選んで楽しまれました。重賢公の代、宝暦の改革で建物は酔月亭一つを残して撤去され、樹木も松だけの質素なものとなりました。護久公の代には版籍奉還で一時官有地となりましたが明治11年10月7日、成趣園を境内地として細川藤孝公・忠興公以下歴代藩主を祀る出水神社が創建され今日に至っています。
明治10年西南の役で、熊本の城下は焼野ヶ原となりました。旧藩主を敬い慕っていた旧藩士たちは、藩主の御霊を祀り御恩に報い、御恩徳によって、戦いで荒んだ人心を安定させ、熊本の町を発展させようとの願望から崇敬者相集い、細川家に関係の深い水前寺成趣園の地を選びここに社殿を創建し、細川藤孝公ほか3柱を斎鎮しました。後に歴代の藩主10柱及び忠興公室ガラシャ夫人が合祀されました。
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